• 2007.01.31 Wednesday 00:26
  • 第4話「地獄の生活の始まり」
  • by joe
  
  香港生活も1ヶ月が経とうとします・・・

 そこに待っていたのは過酷な日々でした!

 元々香港は食費が安いと言う事であまり日本から
 お金を持っていってませんでした。
 と、言っても、元々貯蓄もないし、ありったけの
 お金を持って行ったといっても過言ではありません。

 前にも述べたと思いますが、普通の香港外のモデルは
 事務所がアパート代や飛行機代を前借ということで
 帰国する時にギャラを清算し、そこでその分の
 代金を引くというシステムをとっています。

 これは自分が行った国全部が同じシステムをとっています。

 そんなこともつゆ知らず…

 アパート代も自分で払っていた僕はついに資金が
 尽きる日が来たのです!!!
 もちろん自分が香港に長居するとも思っていなく
 当時東京のマンションもそのままにしており
 2重に家賃を払っていたので、それを計算に入れ
 お小遣いを香港に持って行っていたのです…

 食費は確かに安い香港、でも家賃はと言うと
 東京とほとんど変わりません…
 むしろ同じ値段でも東京の方が全然条件はいいのです。

 狭い部屋、お風呂も充実していない、見た目も…

 そんな悪条件であっても家賃がこれほど高いとは予想もしていません
 でした!
 そんな大きな落とし穴にはまり、なんとか食費などを節約して
 生活していました。
 もちろん買い物なんてできるはずもないし、元々する気もなかったので
 物自体は増えなかったのですが、やはり人間は食べ物なしでは
 生きていけません…

 もちろんジムで体も鍛えなくてはいけないので
 スポーツジムの会費もかさみます…

 その会費も2時間ねばって、ねばって交渉して
 なんとか日本円で6000円くらいまで値切りました!
 元々の値段は20000円を越えてました。

 こんなに自分が値段交渉をしたのはこの時が初めてです。

 さてさて、どうやって節約をしていったかと言うと
 1日、なんと300円で暮らしてみようと試みました!

 日本にいた時から中華料理が苦手と言うか
 あまり口にしませんでした。
 なにせ油が多いので、体重維持にも大きな損害を与えるので…

 それでも食べなくてはやっていけないので
 近所の小さな中華店でほぼ毎日食べていました。
 お米が大好きな僕としては米だけで十分なのですが
 そのお米がすごく臭いんです…
 つまりタイ米。

 好きな人はすごく好きなのかもしれませんが
 僕には食べれません!
 それでも我慢して毎日食べていました。

 そんなある日、
 そのお店にはサンドイッチがメニューにありました!
 最初はメニューが広東語で書かれていて全然読めなかったのですが
 しだいに色々な本で勉強してメニューの読み方を学んだとき

     「公司三文冶」

 これはクラブサンドイッチと言う意味です。

 それ以後ほぼ毎日そのお店でそれをオーダーしていました。
 
 そうするとお店の人も顔見知りの客が来たとなり
 俺が席につくやいなや何も言ってないけど
 自動的にこのクラブサンドイッチが出てくるようになったのです!

 そしてもう1つの節約方!

 香港での「クラブ」、つまりディスコである。

 ここでは毎週末多くの人で賑わい、多くのモデルで賑わいます!

 なぜならば・・・

 ドリンクもフードもモデルはフリーなのです!!!

 「ドラゴンアイ」という香港では超有名なクラブです。

 そこでタダでご飯が食べられるという情報をもらって以来
 毎週末、そこへ通いました!
 でも僕の所属していた事務所のテーブルがなかったのです…

 でもラッキーだったのは、そこには全香港モデル事務所の
 モデル達が集まるので、いつのまにかできた日本人モデルの
 仲間達に
 「うちの事務所のテーブルで食べればいいじゃん!」

 ってな感じで毎回そこにお世話になりました。

 浴びるほどお酒を飲む習慣がこの時から始まったのです!
 なぜなら、やはりタダだから…

 しかし朝が近づくにつれ、みんなはタクシーに乗って
 帰っていきます。

 でも

 僕にはタクシー代がない…
 日本のタクシーより遥かに安い香港のタクシー、
 それでも10ドル、20ドルは当時の僕にとって
 貴重なお金でした…

 たまたま近所に住んでいたモデルさんに出会い
 タクシー代を割り勘して帰った時もあったし、
 朝まで地下鉄が動くのを待ったり…

 そこで第3の節約方を見つけたのです!

 24時間やっているスーパーが家の近所にありました。
 そこでよくサンドイッチやジュース、水を買っていました。

 ある朝帰りの日、

 いつも買っていたサンドイッチが
 なんと半額以下になっていたのです!!!

 もちろん賞味期限はギリですが
 全然食べられます!
 どうやら後で気づいたらところ
 深夜の12時を越えると値段が一気に下がるようです!

 それを毎週末、買って帰り、日曜の昼過ぎに起きた後に
 朝ごはん兼、昼ごはんにしていました。
 週末とは言わず、それを狙って買いに行った時も多々ありました。

 そうやってなんとかかんとか自分の食事を保っていました。

 それでもやはり生活しているとなんだかんだお金が 
 減っていくのは主婦の方が一番わかっていると思います。

 そしてもう1ドルもないと言うある昼さがり・・・
 

 「もうこのままでは香港で生活していけない。
 このままでは飢え死にしてしまうかも…(少し大げさだが)
 2ヶ月以上経っても何1つ仕事がないし、他の日本人モデル達は
 どんどん仕事を取って、楽しそうだし…
 香港に来てもやはり俺はダメなのか…
 そろそろ荷物をまとめて帰国し、また一からバイトでもして
 東京で暮らすか、実家に帰って何か仕事を探すか…
 もうどうしようもない・・・諦めるか・・・」

 色々な葛藤、挫折、食で今まで困ったことないのに
 食べたい物も食べれない…
 色々なダメージが一気にその時押し寄せたのです。

 「あと少し頑張れば!」

 そう思ってはみたものの、しだいに
 初めの一歩に感じた「生きがい」がどんどん遠くなって
 行きました・・・・


 そんなある昼下がり
 1本の電話が僕の人生を大きく変えたのでした!

                        つづく・・・

 次回は「30歳と共に訪れた2つの光!」です!

  • 2007.01.30 Tuesday 02:22
  • 第3話!初めの第一歩!
  • by joe
 
 さてさて、なんとなく朝が来たと思い、起きてみました!

 FAXの地図を片手にさっそく事務所へ行こうと
 街を歩いてみました!

 先にネタをばらすと
 目的地まで10分ほどで行ける場所に宿泊していました。

 でも手書きの地図ではそこまでわからず
 しかも初めての場所で何の下調べもない僕は
 そこまで3時間もかかってしまいました!!!

 その3時間は全然苦になりませんでした。
 なぜならば?

 僕の旅はいつもこうなんです!
 初めて来た国はまず何をするかと言うと、
 ひたすら歩きます!

 その国の空気になれるのがまず最初にやる僕の儀式なのです!

 今までいった国は全部そうやりました!

 そうすると、乗り物を使って移動すると
 ついつい見逃してしまう物って意外と多い事に気づくのです!

 なのでひたすら、ずーーーーっと歩きまわるのです!
 もちろん広東語が話せないのでタクシーに乗るのには
 最初抵抗がかなりありました…

 でも歩けばもっと町並みがわかり、のちのち
 自分が同じ場所に来たときに迷わずに済むのが
 「歩き」のいい所!!!

 雑音、匂い、人の話してる言葉、全てが五感で感じる事ができ
 その国の魅力になり、その国にどんどん自分が馴染んでいくのです。

 これは僕だけかもしれませんが、いつも僕はこうします!

 時代は現在に戻り、最初ドラマの仕事を去年の暮れにもらって
 帰国し、久しぶりの日本の現場になかなか馴染めなくて
 不安もあって、東京という街になんとなく抵抗があったので
 去年、帰国した当初は毎日タクシーも電車もバスも使わず
 3時間くらいは歩いていました。

 スタジオやスタッフの雰囲気に早く慣れる事ができたのも
 「歩き」の基本に戻ったからだと思います。
 もちろんその裏には、体重を増やさない、脂肪を燃やすという
 影の目標があったのも確かです。

 そして話は香港時代に戻しますと、
 迷いに迷って、やっと香港の事務所に着きました!

 事務所の人にはすごいびっくりされましたが…
 なんてったって10分の場所を3時間もかけて
 たどり着いてますからね…

 そして契約書ではないのですが、自分のデータを
 あるシートに書きました。
 身長、体重とか基本的な事ね!
 その時にたまたま日本から来ている男性モデルに
 会い色々香港の情報を彼から仕入れました!

 いいことも悪いことも・・・

 そこから友達もいないし、話相手もいなかったので
 すごく彼と仲良くなり、ほぼ毎日つるむようになりました!

 そして1週間。

 この1週間は、ココ香港で働きたいって思える
 毎日になっていったのです!

 それは、日本ではそんなにオーディションって頻繁にないのですが
 香港では毎日あったのです!
 しかも1日1件ではなく、多いときは5件とか…

 ただ地図を持ち、ただ住所だけ渡され
 その現場まで一人で行くのです!

 誰の手も借りずに、右も左もわからないまま
 地図だけを頼りに毎日、毎日・・・

 例えそのオーディションが合格しなくて
 行くだけで自分は毎日
 「生きてる!」って生きがいを感じました!

 10年以上芸能生活をしていて 
 こんな事を思ったのは、この時が初めてでした!
 芸能生活だけではありません!
 こんなに自分の力で自分の足で目的地までたどり着き
 そして家に帰り、寝る。
 単純な生活かもしれないけど、こんなに生き生きした気分になれたのは
 この時でした!

 そしてインターネットカフェに行き
 「香港」と言うキーワードをくれた人に
 メールを送りました!
 「ありがとう!」
 ただそれしか頭に浮かびませんでした!

 その1週間で僕はその時、決意しました!

         「香港に移ろう!」と。

 日本からの「初めの第一歩」となった香港!

 ここからが本当の新生ジョーの物語の始まりなのでした!!!

 次回は「地獄の生活の始まり」です!

                           つづく・・・・

  • 2007.01.28 Sunday 17:44
  • 新生ジョー第2話「出発と到着」
  • by joe
  
    さてさて旅にはハプニングはつき物ですよね!?

 香港進出への第1段目のハプニングとは・・・

 後から気づいたことなのだけど
 香港で活躍する日本人モデルのパターンとして
 すでに香港内で活躍してる人の紹介や香港の事務所から
 日本の事務所にオファーがあって呼ばれて行く人が大半います。

 「当たって砕けろ」精神のわたくしジョーは
 そんなことは全く知りませんでした…

 香港のエージェンシーに呼ばれた訳でもなく
 友達の紹介で呼ばれた訳でもなく…

 ただエージェンシーに連絡して行けばいい!と言う
 感じで飛行機に乗ってしまったのです。

 基本的なパターンとして、香港のエージェンシーが
 飛行機のチケットを用意してくれて
 住むところも手配してくれています。

 でも、無知な僕はそれをすべて自分でやってしまいました。

 香港のエージェンシーがくれたアパートの管理人さんの電話番号に
 国際電話をかけ、自分で部屋を予約したんです。
 管理人さんも日本人と言う事で安心して日本語で予約もでき
 安心して住めると思っていました。

 ここで、ハプニング発生!!!!!!!

 念のため出発の搭乗口付近の公衆電話でごあいさつをと
 思い管理人さんに電話をかけてみました!

 <成田空港、某公衆電話にて>

 「もしもし、あっどうも、本日からお世話になる
 ジョーです。」

 おばさん
 「はっ!?あなた誰なの!?どこの事務所!?モデルなの?
 ワタシアナタの事知りません!だから部屋は貸せません!」


 ガーーーーーーーーーーーーン!!!!!

 冷や汗たらーーーーーーー。


 こんな事アリなのか?

 日本人同士と思って安心していたのもつかの間でした。

 出発まで30分しかないけど
 宿がなければどうしようもない…

 急遽香港の事務所に電話をして
 なんとかお情けで一部屋用意してもらいました!

 ほっとしましたが、空港まで迎えに来てくれてるものだと
 思ったら、それも甘かった…

 初めての香港国際空港。
 どこをどう行けばいいのかわからない。

 とりあえず事務所が教えてくれた管理人さんに
 電話をかけてみた。
 今度は日本人じゃなくフィリピン人。

 <香港国際空港にて>

 (日本語翻訳文)
 「あのー空港つきましたけど、どこに行けばいいですか?」

 フィリピン人
 「そごうまで来て!」

 「そごう!?」

 って、どこやねん!
 「ゴーズウェイベイのそごう!バスで来て!」

 わからない・・・


 冷汗また、タラーーーーーーーーーーーーーーーーー!

 とにかく空港内をうろちょろしてバス停を見つけ
 そごう行きを探してみた。

 あった!と思い、重いスーツケースをひきずって
 駆け込んでみたけど、

 おっさん

 「チケット!チケット!」

 お金を見せたが、おっさんはただ首を振るだけ!

 「チケット!チケット!」

 そしておっさんの指さす方向へ行ってみた。

 また重いスーツケースをひきずって来た道を戻る…

 やっと、チケットが買えた!と思って振り向けば
 そのバスは行ってしまった…

 待つこと30分、

 次のバスが来て、やっと乗れたが
 「そごう」がどこにあるのかもわからない。
 「そごう」まで何分かかるのかもわからない。

 ひたすら右、左を常に気にして「そごう」を
 探す!
 だいぶん時間がたち、乗客はどんどん降りて行き
 不安がどんどん増していく。

 本当に「そごう」に着くのかな?って思うくらい
 不安になってきた…

 やっとバスの電光掲示板が「崇光 sogo」と示した!

 着いた!と思って安心したが、どうやって会った事もない
 その管理人さんを探すのだ!?って思ったが
 向こうから声をかけてくれた。

 それは乗客で日本人は僕だけだったので
 向こうもすぐにわかったそうだ。

 そしてアパートまでその人と歩いていった。
 
 今となってはそこまでの道のりはたいした事ないし
 安全だし、近い道のりって思えるけど
 当所はなんか怖かった。
 スーツケースも重かったし、遠く感じた。
 
 スリに会うのだろうか?
 金を出せ!って脅されるのだろうか?
 そんな変な不安がまだまだ続いた。

 やっと自分の部屋に着いたと思ってホッとしたのも
 これまたつかの間!

 入った瞬間思ったその時の印象は

 汚い!
 狭い!
 臭い!

 4畳ほどの部屋にベッドとガスコンロのようなシャワー、
 そのシャワーの下にトイレ…

 日本のユニットバスとはほど遠い場所だった。

 やっと眠れると思ったが
 風邪気味だった僕は、その安心感から
 高熱にうなされ眠りに着きました。

 「明日から新しい日々が始まる第一歩だ!」と
 心で思いながらなんとも言えない場所で
 一人長い1日を終えたのでした…

                     つづく・・・

  • 2007.01.26 Friday 00:22
  • 今日は新生ジョーについて。
  • by joe
 今日はなんで香港に行ったのか?についてお話したいと思います。

 思えば芸能生活14年目に入ろうとしています。

 19歳から始めて29歳まで日本で活動していました。
 でも、なかなか思うようにいかない10年間がありました。
 何度もくじけそうになったり、早く売れないか焦ったり…
 いろいろな葛藤があった10年間でした。

 オーディションもそんな数もなく、これと言って「やりたかった!」って
 仕事もなく、コネもなく、あるのは迷いだけ。

 そんな僕に誕生日は必ずやってきます。

 いつも節目節目に何か思い切った事をするのが 
 このジョーでした。

 大学の卒業前に何か一人でできる思い切った事はないか?
 何か大学生の間にできる事はないか?
 そう思った時、海外へ飛び出す冒険心がありました。

 卒業前に我流で覚えた英語力がどこまで落ちぶれてるか試すために
 オーストラリアとアメリカに1ヶ月ずつバイトで貯めたお金を
 全額投資して行ってみました。

 この経験は後の人生に大きくプラスになりました。

 高校の時が一番英語力があったので(受験もあったので…)
 英語には自信がありました。
 でも大学生になると勉強心が一気になくなるのが
 ごく一般的な大学生活だよね!?
 日本人だけかもしれないけど…
 確かに高校の時より衰えていたけど
 なんとか帰国できた時、変な自信が自分にありました。

 そして上京して色々な人種に会い、色々な経験をして
 あっと言う間に29歳になっていました!
 大卒後の時間の経ち方ってめちゃくちゃ早いよね!

 その時思ったのが、10年芸能に携わって何1つ大きな成果を
 得ていませんでした。親にも迷惑かけてるような罪悪感さえ
 ありました。
 でも親は何1つ文句言わずいつも応援してくれていました。
 まるで今やってるドラマの「東京タワー」のオカンのように…

 30歳って男にとって何か節目のような感じもしました。
 責任感がこれからどーんっと重くなるような不思議な
 プレッシャーさえ感じました。
 よく世間では「男は30から・・・」ってフレーズがあるように
 何か大きな節目のようにも感じました。
 でも、30歳を目前にして何1つ大きな成果のない僕は
 何をしたらいいのかさせわからない時期でした。

 色々な人に相談に乗ってもらい、色々な悩みさえありました。

 その時、1度お仕事をしたクライアントさんやカメラマンさんに
 相談に乗ってもらった時に「香港」と言うキーワードが出ました。

 そう、そうなんです!節目を迎える時はいつも海外なんです!

 もともとモデル体質ではない俺としてはモデルと言う世界を
 知りませんでした。
 でも、香港には多くの日本人モデルが行ったり来たりしていると言う
 お話を聞いて、思い切っていってみようかな?思い切ってモデルやって 
 みようかな?って思いました。

 ジャッキーチェンが大好きで香港にはすごく関心があったのですが
 旅行でさえ行った事のない香港…
 しかも元イギリス領までは知っていたけれど英語が通じる国さえも
 知りませんでした。
 香港といえば広東語…映画でしか聞いた事のない広東語。
 そんな言葉を日本にいたら話せる訳がないでしょ!?

 でも、冒険心の赴くままに1週間後行ってしまいました!

 右も左もわからない、友達なんかもちろんいない国…

 不安も大いにあったけど、自分を変えるにはコレしかないかも!
 って思い、思い切って10万円だけもって行きました!

 なんで10万円?

 それはね、よく香港に旅行に行った人が言ってました。
 「安い!うまい!」

 安くでうまいもの食えるなら大丈夫だろ!って思って
 行きました。

 でも現実はそう甘くなかったのです…

 「当たって砕けろ!」

 こう思うのがジョーなんです!

 でもこの精神が新生ジョーの始まりだったんです!

 何が起こったかは、また次回!

                つづく・・・

  • 2007.01.24 Wednesday 15:20
  • 中村譲のブログのはじまり!
  • by joe
 みなさん初めまして!中村讓と言います!
 ブログを書くのは今日が初めてでこれから
 みなさんにまた読みたいって思う、おもしろい事や
 僕の近況報告などをまじえて書いていきたいと思います!

 それでは今日は初めてなのでざっと自己紹介させていただきます!

 僕は19歳の時に初めてこの芸能界という所に入りました。
 初めは舞台など関西を中心に活動して、20歳の時初めて
 NHKの朝の連続ドラマにちょこっと出演しました。

 そして23歳の時上京し、色々な経験をつんだ後
 29歳で香港に渡りました!
 初めての海外生活だったし、全てが新鮮ですごく
 刺激的な国へ来てしまったんだと日々思っていました。

 香港での主な活動はモデルでした。
 やはり香港映画に参加したいと言えども広東語が 
 話せないと全然ダメなので2年間香港でモデルを
 しながら広東語を少しづつ覚えていきました。
 その後、シンガポールへ渡りどんどんモデルとしての
 頭角を現して行き、2度も雑誌の表紙を飾りました!
 
 そして2006年の5月から今度は台湾へと渡り
 わずか4ヶ月でCMを10本、その他、雑誌、広告、カタログ
 台湾のテレビ番組への出演など、幅広く活動し
 2007年1月、ここ日本でのお昼のドラマの出演となりました。

 香港へ渡って帰国するまでの3年間、アジア圏で色々な
 体験や仕事を出来たことを今は誇りに思っています。

 何も情報も友達もいないまま香港へ飛び込み
 右も左もわからなまま時間が過ぎて行き
 時には食事も出来ないほどお金がない日々もありました!

 辛い事、楽しい事、びっくりする事、色々な事がこの3年間で
 起きました!
 今でももちろん自分の築き上げてきたアジアでのルートを
 無くさないためにも日本との往復は続けています。

 もっと言葉を覚えてモデル以外の幅広いジャンルで
 このアジアを制覇したいと思っています。

 これから応援の程よろしくお願いします!
 海外で経験した色々な出来事についてはまた
 後程お届けしたいと思っています。

 ちなみに今年の1月から始まったお昼のドラマとは
 フジテレビ13時30分開始
        「母親失格」です。
「母親失格」の台本を写メしてみました!

 僕は共演者の芳本美代子さん、原千晶さんといつも絡んでる役、「巻 輝夫」役として
 活躍してるので、もし見たことある人、これから見てくれる人の
 意見を聞けたらって思ってます。
 どうぞ応援の程よろしくお願いします!

<<new | 1 / 1pages | old>>
 
PROFILE

1974年4月2日 兵庫県出身


中村讓所属事務所 ランベス
プロフィールやお仕事のお問い合わせ、
ご依頼はコチラから・・
Ranves
CALENDAR
SMTWTFS
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< January 2007 >>
ENTRY(latest 5)
COMMENT
MOBILE
qrcode
RECOMMEND
イケメンレシピ-男の鍋―料理上手なイケメンたちが教える、冬のあったか鍋レシピ!
イケメンレシピ-男の鍋―料理上手なイケメンたちが教える、冬のあったか鍋レシピ! (JUGEMレビュー »)

中村讓が冬のあったか鍋レシピを紹介!
寒い冬に是非お試しを!!
SEARCH
無料ブログ作成サービス JUGEM

(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.